「 森さん、お話のあと、どうなったんですか? 」って、『 寒山拾得 』 『 寒山拾得縁起 』 両方とも、電話をかけて訊きたくなるような作品なので、(森さんって、森進一じゃありません、鴎外先生です) 鴎外だったらどう返答するか?って考えてみた。鴎外に会ったこともなければ、見たこともないですけどね。想像するだけは自由でしょ。
僕の中の森鴎外は、こう答えました。
「 あとは、読み手が勝手に考えて下さいよ、あれ以上書いちゃうと、いろんなことを説明することになってしまうんですよ、そうなると、野暮な作品になってしまうと思ってねぇ、読者から、下手クソ、面白くねぇとか、ヤブ医者とか、そんな批評には耐えられるんですけど、野暮チンだけは勘弁、おいら江戸っ子ですからね・・・すいませんウソつきました、島根生まれです、気持ちは江戸っ子ってぇ〜ことで、正直なところ、あれ以上書けない、書かない、どっちもそんなところなんです 」 と。
『 寒山拾得縁起 』 の朗読録音が終って、さあ作品をアップするかなってところで、北村青子が言い出した。
「 音楽入れないの、最後の終わりのところ、話が終ったのか、まだあるような、聴いてる人がわからなくならない? 」 僕は、「 これでいいんだよ 」ときっぱり答えた。だって、僕の中の鴎外が言うんですよ。野暮チンだけは勘弁。おいらの思う江戸の粋ってやつで、せっかく読者を突き放す工夫をしてるのにって・・・
『 寒山拾得 』 朗読作品のほうは、最後に太鼓の音でしめ〆たので、天国の森鴎外が、「 くだらんことしてんじゃねぇ、せっかくおっぴろげた風呂敷を、しろげっぱなしにしてるのに・・・ 」って怒ってるかもしれない。
いや、怒ってる。(笑)
僕の中で囁く森鴎外が、勝海舟のようなしゃべり方になってるの、自分でも不明です、あしからず。
(北村青子の付き人兼、録音係より) 🎧
今日も、ドラリー扉に来てくれてありがとう★
― 追記 ―
作者本人が亡くなって、なおかつ著作権の切れた作品は、音楽にせよ、小説にせよ、誰それ誰べえがつくった作品なのだけど、人類で所有する、皆でシェアする作品となってゆくのだなぁ〜と、つくづく、なんだなぁ〜。
森さん。あなたの作品をシェアさせていただきました。
( なんども言うようですが、森 進一じゃないですよ )
そうそう、『 寒山拾得 』が蕎麦とするならば( この場合、もり蕎麦でしょうけど )、『寒山拾得縁起』は蕎麦湯のようなものですかね。僕は、蕎麦湯を飲んで〆て、それで、「 蕎麦食った気持ちになる 」派なんですけどね。でも、蕎麦湯の嫌いな人、けっこういるのだよ。
そんなの、蕎麦好きじゃねぇ。
― 追追記 ―
この記事を書いたあとに、こんな蕎麦切り包丁があることをネットで知った。
寒山拾得ブランド 蕎麦切り包丁なんだか、頭が混乱してきた。